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“職人気質”の、老舗インディーズレーベル。

カフェ・オ・レーベル(Cafe au Label)は、日本のインディーズレーベルである。
代表取締役はTHE SUGAR FIELDSの 原朋信(はら とものぶ)。
 
原自身がミュージシャンであり、エンジニアとして活躍していることもあって、リリースされる作品群は、“アーティスト性”を最優先にした音楽であることと、“職人の現場”から生まれた音楽であることが特徴。

1997年に、原がメジャーデビューで手にした制作費で、足立区綾瀬の一軒家をレコーディングスタジオに改造したことを機に、レーベル業を本格始動。祖父の代から続く伝統技法の鋸(のこぎり)屋『マツバヤ』の法人を譲り受け、社名を『有限会社カフェ・オ・レーベル』に変更。“職人気質”を継承したインディーズレーベルが誕生した。

レーベル運営の他に、レコーディング・スタジオ、マスタリング・スタジオ、オリジナル録音機材の開発・販売や、音楽教育コンテンツの制作など、音楽に関するあらゆる専門知識と技術を駆使した事業を展開している。


新潟 マツバヤ工場跡

1947年

原の祖父が、新潟県旧三島町脇野町にて " マツバヤ " 創業。
天保 13 年に、鍛冶職人の中屋庄兵衛より伝えられた伝統技法で、鋸 ( のこぎり ) 鍛冶屋を営む。" 日本鋸工業株式会社 " と社名を冠し、脇野町の工場と東京を拠点に、戦後復興の為に職人用の鋸を製造販売。

原はこの " マツバヤ " の法人格と職人気質を受け継いだ、3代目に当たる。


1956年元旦

弥彦事件にて、祖父とその長男が他界。弥彦神社拝殿前の玉垣が崩れて大勢の人が将棋倒しになった事故である。死者124人、重軽傷者77人。マツバヤの事実上の2トップが亡くなったことにより、マツバヤ独自の焼き入れの技法が失われる。
当時、仙台の東北大学工学部の大学院に在籍中だった次男である原武嗣(原の父)が、大学院を修了後に2代目としてマツバヤを継ぐことに。

その後、2代目の原武嗣が有限会社マツバヤと社名を改め、工学部で培った技術でオリジナルの鋸製造機器を開発。マツバヤの 失われた焼き入れの技を明確な数値として取り戻すが、時すでに遅し。使い捨て片刃の量産品などの台頭によって、鋸鍛冶屋が軒並み倒産していく。マツバヤは職人達に十分な退職金を用意し、倒産することなく事業を軟着陸させる。

原は大学進学時に父から、「のこぎり屋はもう終わりだから好きなことをやれ」と言われる。


足立区綾瀬の旧カフェ・オ・レーベルスタジオ

1995年

マツバヤ3代目となる原朋信は、大阪芸術大学を卒業後に、関西でソロユニット「シュガーフィールズ」として本格的な音楽活動を始める。TASCAMのカセット8トラックレコーダーで録音した、“自宅録音カセットシリーズ”を販売する為に、関西でインディーズレーベル『カフェ・オ・レーベル』を立ち上げる。当時アーティスト本人がレーベルを立ち上げる事は非常に珍しいことであった。
山本精一率いる難波ベアーズで、「オルタナ以降のシンガーソングライター」として、パラダイス・ガラージと共に「うたモノ」と呼ばれた。これが現在の「うたモノ」という言葉の始まりとなる。

1997年

カセットシリーズが評判となり。ポニーキャニオンからシュガーフィールズがメジャーデビュー。インディーズの宅録音源からデビューしたアーティストは日本初。現在のDTMミュージシャンの先駆けとなる。

東京に拠点を移しレコード会社からの制作費2000万円で、足立区綾瀬の一軒家をレコーディングスタジオに改造する。この時に、有限会社マツバヤからの法人を譲り受け、社名を有限会社カフェ・オ・レーベルに変更。
 
祖父の代からの『職人気質』を継承した音楽制作業を、本格的にスタートさせる。

以降、原はカフェ・オ・レーベルから自身のアルバムをリリースしながら、スネオヘアー、くるり、チョコレートパフェ、マーガレットズロース、イッパイアッテナなど多くの新人を発掘・プロデュース。

カフェオから第一弾としてリリースされた、関西の無名女性アーティスト「アンアーバー」の音楽は、後に奈良美智からの熱い要望で、音楽とアートのコラボ作品を生み出すなど、アーティストにも大きな刺激を与える名盤。「くるり」がメジャーデビューのきっかけとなった『東京』は、同じく「アンアーバー」の音楽と、カフェオレーベルスタジオの音作りの現場に触発され、作詞作曲、原と録音から完成まで、一晩で一気に仕上げたという制作エピソードが有名。カフェオのリリース作品はほぼ全て、原によってプロデュースされている。

 

奈良美智「Take Me There」 / くるり「もしもし」

アンアーバー「I HAVE」

シュガーフィールズ(原朋信)/チョコレートパフェ/スネオヘアー/cosmic flavor/三好基文(カスタムネル)

1998 年

カフェ・オ・レーベル企画イベント第一弾、渋谷クアトロで開催。ナンバーガール、パラダイス・ガラージ、スペースカンフーマン、
HARCOなどが出演。

2000 年

カフェ・オ・レーベル3周年。企画イベント「石のうえにも 3 年」を渋谷クアトロで開催。スネオヘアー、チョコレートパフェ、シュガーフィールズ、HARCO などが出演。


劇団ヨーロッパ企画

2001年

渋谷円山町に移転。この頃から、原はオリジナル機材の研究や、マスタリング事業を開始する。京都の劇団ヨーロッパ企画との親交が深まり、シュガーフィールズ、スネオヘアー、プラモミリオンセラーズ、peckなど、カフェオレーベルの音楽が劇中に使われる。

この頃に行われた、路上レコーディングや、各地でのストリートライブツアー、ライブイベントでの会場設営などで、PAシステム構築やエンジニアリングを原が担当。京都吉田寮で行われたシュガーフィールズのライブイベント「石庭」では、円形会場にオリジナルの4面スピーカを制作して持ち込み、360度音楽が鑑賞できるPAシステムを構築した。


現在の足立区綾瀬スタジオ。原とモディファイマイクAMATERAS0087。

2005 年

現在の足立区綾瀬カフェオレーベルスタジオを構える。原はレコーディング、マスタリングエンジニアとして名を馳せ、これまでに 4000 組以上のレコーディングと、30,000 曲を超えるミックス・マスタリングを行う。

2006年

自社ブランド AMATERAS を立ち上げ、原が考案したレコーディング機材を設計および販売。

往年のレコーディング機器を研究し、ヴィンテージサウンドを追求し続けた結果、" トランス " というパーツが及ぼす音の効果に気づいた原は、ライントランスを開発。" ニーヴくん " という愛称で、手軽な価格帯でヴィンテージサウンドが得られる機材として、ミュージシャン達の圧倒的な支持を得る。その他、スピーカーやモディファイコンデンサーマイク、マイクプリアンプ等、数々のレコーディング機器を開発し販売。


AMATERAS-1011[TS] マイクプリアンプ
 

AMATERAS-0001c 通称"ニーヴくん"

2008 年

渋谷にレコーディング及び撮影スタジオを構え、難波章浩(Hi-STANDARD)と共に、フジテレビ系列の新潟総合テレビで、音楽番組を制作。

2013年

カフェ・オ・レーベルの社章が新しいデザインに。
「Harmonize but not Agree (和して同ぜず)」。コーヒーとミルク、白と黒、光と闇が螺旋状に絡まり合いながらも、決して同化(迎合)はしない。原の母校である新潟県長岡高校の校訓でもある『論語』の「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」に基づいたデザイン。後に、この社章はスタジオのロゴマークとなる。


ドラマ「あかりのむこう」 監督・脚本:渡邉高章

2014年

カフェ・オ・レーベルが舞台とモデルになったドラマ「あかりのむこう」公開。avexとカフェオの共同制作。

出演はCheeky Paradeの鈴木 友梨耶、幸田尚子。小林ゆう、垂木勉ら豪華声優陣も声にて出演。音楽はChamical Volumeが担当。


THE SUGAR FIELDS 15thアルバム「NORITO」

2018 年

原が「THE SUGAR FIELDS」名義で、12 年振り通算 15 枚目のアルバムをリリース。アルバム制作過程で習得した"ブラックミュージックのグルーヴ"を体系化し、カフェオスタジオにてリズムレッスン教室を開講。兼ねてから要望のあった、エンジニアリング講座も同時に開講。原自らが講師となる。


Cafe au Groovers:Ba.木村隼人 / Dr.大浦ともぞう / Gu.白石尚悟 / Key.溝呂木奏

2020 年

カフェオレーベル専属プレイヤー「Cafe au Groovers」と共に、世界標準の音楽レッスンプログラム "GrooveArtists Academy"をオンライン開講。原のエンジニアリングの技法をまとめたRecording, Mixing & Mastering Programや、Groove に特化した Bass のレッスンプログラム、Bluse Guitar Program など。音楽職人達が培ったプロの技を伝授する。


新潟工場跡 焼き入れ用に工夫された天井

2021 年

祖父の代からの、新潟"マツバヤ"工場跡を、本格レコーディングスタジオにリノベーションする計画を始動。ANATERASブランドにて、ヘッドフォンアンプなどの新機材を次々と開発。